2年に一度の香椎宮のお祭り「春季氏子大祭 神幸式」が近づいてきました。お神輿と、獅子楽などおともの行列が香椎宮本宮と頓宮を往復し神事を行う「神幸式」ですが、皆さんはその背景にある歴史や意味をご存知でしょうか。
このお祭りのことをよく知っている方も知らない方も、これからの参加がもっと楽しくなる!そんなお話を、こちらのお二人にお聞きしてきました。
――そもそも、こちら香椎宮はどのような歴史をもった神社なのですか?
鍬原 仲哀天皇とその奥様である神功皇后をおまつりしているのが香椎宮です。西暦200年ころ、九州南部に「熊襲(くまそ)」という豪族がいました。この人々が全く天皇に従わないため、仲哀天皇は自ら、親征に向かおうと、この地に仮の皇居を建てました。現在本宮の奥にある「古宮」をご存知ですか?石碑が立っているまさにあの場所です。
仲哀天皇はその場所で、熊襲への親征をどのように行えば良いかご神託をたてました。すると、三韓へ向かいなさいというお告げが。しかし仲哀天皇が近くの山に登ってその方角を見ても、広がるのは海ばかり。「そんな島ないじゃないか」と、そのお告げを信じなかったんです。仲哀天皇は神様からの怒りをかい、一晩のうちに亡くなられました。神功皇后がその御霊をまつったのが香椎宮の始まりです。
そのご遺体をお棺に入れ椎の木に立てかけておいたらお棺からいい香りがしたので「香椎」という地名が起こった、という言い伝えもあります。
――「香椎」という地名にそんな由来があったとは知りませんでした。4月14・15日に行われる神幸式はどのような意味をもったお祭りなのですか?
鍬原 神幸式そのものはもともと御幸(おみゆき)といいまして、神様が出かけてゆくことで通った道の近くにいる人や関連の人「皆さんが幸せになれますように」という意味合いを持っています。
徳永 私たち獅子楽は道中「天下泰平國家安全萬民豊楽」と記してある旗をもつのですが、この言葉のとおりですよ。皆が幸せになりますように、国が栄えますように、豊かな実りがありますように。
――神幸式で登場する「獅子楽」とは何ですか?
徳永 皆さんもよく知っている「獅子舞」とイメージは同じですが、こちらは獅子「楽」。雅楽や舞楽と同じように、もっと高尚なものとして扱われます。獅子楽には五穀豊穣や子孫繁栄の思いが込められています。だから雄と雌の獅子が対になって舞うんですね。
太鼓や笛は、「ヒイヤヤリットヒイヤヤホ」というようにリズムを言葉で記した楽譜にそって演奏します。踊りにはそんな楽譜のようなものはなく、口伝えで継承していっています。頭の中で覚えていくんです。神幸式では、往路で本宮を出発するときと頓宮に到着したとき、復路で頓宮を出発するときと本宮に到着したとき、それぞれに獅子楽を奉納します。道中は太鼓や笛でお囃子を奏で続けます。
他にも2度お祭りがあって、年に3回舞うのが基本です。一週間前からは毎晩練習をします。お宮の中でしか獅子楽を舞ってはいけないというのが本来の決まりですが、今は練習場所もなくそういうわけにはいかないので、一週間前に楼門の外へ獅子頭を持ち出します。そのときには、獅子頭と練習場所、舞いを舞う人すべてのお祓いを神職さんにしてもらいます。当然、終わったらまたお宮さんに獅子頭を戻します。
鍬原 清められた場所でしかできないということは、それだけ格式高いものだということですね。福岡には獅子舞がたくさんありますが、その中でも特に神聖なものだと思います。
――こんなに素晴らしい伝統、これからも ずっと続いてほしいですね
徳永 地域の人間関係を大事にしながら、お宮の伝統を守るのが私たちです。獅子楽に興味のある方は、ぜひご参加ください。お待ちしております。子どもたちも一緒になって地域の芸能・文化財を守っていきましょう。
鍬原 せっかくの地域芸能。発展させていかなければならないですね。
――それでは最後に、春季氏子大祭 神幸式に向けて、氏子(神社にまつられている神様が守っている地域に住んでいる人)の皆さんへメッセージをお願いします
鍬原 先ほど神幸式のもつ意味をお話ししましたが、この神事では、皆さんに神様からのお気持ちを受けていただくことに意義があります。ぜひ通りの近くまで来ていただいて、少しでも見ていただきたいです。氏子大祭という名前のとおり、氏子さんが主役なので。皆さんに参加してもらうことが、このお祭りにとって一番意義のあることだと思います。
徳永 香椎宮が守っている地域は広いので、たくさんの氏子さんがいます。神幸式ではあちこちから集まった氏子さんが、さまざまな加勢をしながら行列のおともをします。前回はだいたい400人の行列になりました。普段なら分くらいで歩いて行ける道を、1時間くらいかけて進んでいくんですよ。
やっぱり、一番心配するのは天気ですね。お稚児さんも行列をつくるので、雨が降ったら大変。それと何より、安全に無事に終わること。それを願っています。